「ハグはいいけど、キスはダメだよ?」
「キ!!……」
一瞬にして顔が熱くなる。
死にたい。いや寧ろ死ね。ていうか、今なら恥ずかしさで十分死ねるわ。
だが、そんな私をよそにキースはいつものあの傲岸不遜な笑みを称えてから、扉の向こうに消えた。
「……」
かーっと燃えた顔が落ち着くまで、目をぎゅっとつむって、しばらく私は俯いていた。
外からの風が冷たい。
この辺りは本当に夜が気持ちいい。
天井から床まで石造りのこの部屋の、元々のひんやりした空気もあって、火照った顔はすぐに冷めてきた。
キースのああいう言葉はいつものことじゃない!
ゆっくり息を吐く。
肺に夜の空気が入ってくる。
そうしてふっと頬がゆるむ。
気持ちを告げた今でも、キースが言うみたいなそういう事は、正直恥ずかしすぎて顔を覆ってしまうのだけど、それでもやっぱり、嬉しいものは嬉しい。
「……そういうことも、いずれ、ね……」
キス……。
そっと唇を指先で触れてみる。
「何、そういうことって?」
「っ!!」
唐突な声に振り向く。
「ただいま」
ずいぶんボロボロになってはいるけど、目の前の彼は、出ていった時のような無愛想な顔で、私にそう言った。
もう泣きそう。嬉しさで胸が苦しい。
「おかえり。ラウーロ」
二歩で踏み切って、帰ってきた大好きな人に飛びつく。
ラウーロは、頼りにならない声をあげながらしっかりと受け止めてくれる。
「っ……ラウーロ、ラウーロ」
子供みたいに泣く私に、彼は少し困っていたけど、優しい声で、同じ数だけ私の名を呼んでくれた。
ぎゅーっと抱き締めてくれて、だからその後のキスもすごく自然だった。
触れるだけの、優しい口づけ。
やわらかな月光がラウーロを照らす。
銀の髪がきらきら光って、満月のせいで空に見えない星々が、ラウーロに集まっているような。
大空よりも深い、海よりも澄んだ瑠璃色の瞳が、私をとらえてはなさない。
「ファーネル……」
「きれい…まるで星の海だわ」
「ファーネル…?」
「ねえ、ラウーロ。今日のあなた、一段と綺麗だわ」
少しだけ驚いた顔をしてから、ラウーロは私を抱えあげた。
小さな悲鳴が漏れかけた。
華奢な腕に持ち上げられたと思った直後には、ラウーロの手足は大きく瑠璃色の甲殻に覆われ、背中には硬い翼があった。
竜の一族…。
大空を駆ける彼らは、その力が強いほど空の色に近づく。そしてそれは彼らをより強く、美しくする。
鮮やかな青ほど、その竜の強さを示す。
「ラウーロ…?」
「嬉しいけど…そういう台詞は男が言うものだよ」
ラウーロの顔は甲殻に隠れて見えない。
きっと反対側なら見えただろう。
私が奪った彼の鱗。
彼の一部。
ふわりと翼を動かし、ラウーロは私を肩に乗せたまま、地を蹴った。
唐突で静かな生還と同じように、音も無く空へのぼる。
夜の冷たい空気。
風のなかに星の欠片がまじっていそう。
きらきら。きらきら。
「ラウーロ!」
『なに?』
「とっても綺麗ね」
『そう』
竜の姿のときのラウーロは一層感情が分かりづらい。
それでも私は目に映る全部を言葉にしたい。
そうして伝えたい。
「ラウーロ!」
『なに?』
「私、この国が好きだわ。月がこんなに近いのも、夜風がこんなに優しいのも、大地が広いのも、空が高いのも!」
高度があがる。
体を余すところなく風が滑っていく。
「でもやっぱり、あなたがいるからよ」
抱きついた首元の、覆う鱗にほんのり熱を感じる。
胸元にさげた瑠璃色の鱗に触れる。
私が持てるラウーロの一部。
月明かりの中で、大好きなひとに触れている。
ラウーロの体に頬をつける。
鱗の表面は冷たくて気持ちいい。
目を伏せて、呟いてみる。
「ラウーロ」
『ん?』
こんな小さな声でも応えてくれる。
だから私は囁くの。
彼にだけ聞こえる声で、彼にだけ聞こえるように。
彼の為に言葉を紡ぐ。
「好きよ」
首をかしげ、ラウーロは鱗に覆われた顔でそっと私に触れた。
『ああ、知ってるよ』
言葉を伝える。
言葉で伝えられる。
答えてくれる。
嬉しさで胸が苦しいわ。
熱を帯びた胸と顔を、月光が風と共にやって来ては流れて行く。
私は明日、竜の花嫁になる。
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