聖女に魅了された男がいた。
戦術に長け、また自身も優秀な騎兵であった。
具体的ではない使命感、きっと自分がやらねばならないのだ。
求められることには応えるだけだ。
そんな、そんな充実した一生を全うしていくのだと思っていた。
受け入れていた。
だからなのだろう。
一心に祈りを捧げる聖女を見たとき、私は気づかされた。
己が空虚であることを。
神のお告げを聞く少女がいるという噂を耳にしたのは、間もなくこの街も戦禍にのまれるようだという頃であった。
物好きなものだ。稽古の帰りに私はそう思って、気にも止めなかった。
だが、三ヶ月後に頭蓋を揺さぶられるようにその記憶が呼び起こされた。
祭壇のもとで祈るその女を見てすぐに分かった。
ああ、彼女が奇跡の少女に違いない、と。
まだあどけなさを残した少女であった。
これから戦なのだと言った。
世の中など、簡単には変わらないと知っていた。
人の世から戦が絶えることはないと分かっていた。
だが、願ってみてもいいかもしれないと思った。
世の中が変わることを。
戦が無くなることを。
だから、努めてみようと思った。
堅実な変革を。
戦争の終結を。
私にはできないが、聖女にならきっとできるだろう。
だから私は聖女の剣の一本になろう。
私には目の前の障害を打ち破ることしかできないし、彼女には多くの剣があるから。
――ラ・イル。
初めて名を呼ばれたときは驚いた。
大切な戦友の名ですから――。
どうせ指揮を執っているのはあの軍師だろう。都合のよい人形にすぎない、と思っていた。だが彼女は、民が噂するように、神の言葉を聞き、兵士の士気を高め、先導する尊い聖女であった。
勝ち戦が続いたが、自軍の戦力も使えば消耗するし、人は死ぬ。
その度に聖女は死者の冥福を祈る。
聖女は兵士という言葉を嫌い、集った者達を戦友と呼んだ。
当然のことだと思っていたのだ。
聖女だから、と。
教会の祭壇の傍でいつものように祈る彼女の肩が震えているのを見るまでは。
私は、戦いの前に祈るようにした。
自分の願いと、仲間の無事と、それから皆の事を思い、祈りを捧げる少女のために。
しかし私は神を呪った。
あれ程あなたを信じ、祈りを、心を、存在を捧げたというのに、神はなんと惨いことだろう。
捕らわれた聖女を救うための剣の叫びは届かなかった。
私には、あなたのために立ち塞がる者を凪ぎ払うことしかできないのだ。
私は盾でなければ、護るための剣でもなかった。
業火に包まれる少女を目にして、私は気づかされた。
己が無力であることを。
ジャンヌ…。
パテーの戦いの前に、一度彼女と話をしたことがある。
その一度きりである。
少女の名を口にしたのは。
燃える彼女を見て、私は名を口にすることが出来なかった。
呟けば誰かに聞かれるかもしれない。
兵に捕まるかもしれない。
仲間だったと分かれば私も殺される。
だが――。
ノルマンディ地方の軍将に憤怒の異名を持つ男がいる。
知将であり、また自身も百戦錬磨の戦士である。
男は兵士という言葉を嫌い、神を嫌った。
男は昔のある戦の前に、一度だけ少女と話をしたことがある。
その一度きりである。
少女の名を口にしたのは。
奇跡の少女と言われた彼女は、炎の中で死に行くとき、その最期まで、神のお告げを聞く聖女であった。
私は、人の罪架を背負って一生を生きていくのだと、決めている。
男の名は、怒れる士ラ・イル。
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