冷たさを色で表すなら、何だろう。
寒色であるところの青系統のどれかだろうか。
または雪と同じ白か。
あるいはあの寒々しい空のような黒かもしれない。
個人的に灰色――つまり白でもなく黒でもない曖昧なあの色は、
グレーというやつを、俺は寒色とは認められない。
曇天を見よ。灰色という言葉でひとくくりにするにはあまりにも膨大な数の色合いだ。
あの厚い雲にあれほどの色を示す灰色という奴を、どうして寒色と言えよう。
だが俺は、別段灰色について誰かと語り合いたいわけではない。あくまでこれは個人的な思いで、だから勝手であろうとそれは当たり前なので、身勝手に俺は続けよう。
俺はつまり、冷たさが何色なのかを知りたいわけでもない。
ようするに冷たさとは、人によって何色にでも感じられるだろうし、冷たさとはただの感覚であって、視覚情報に変換するのは極めて困難だろう。
冷たいとは寒いという感覚だ。
肌から読み取り感覚神経を経て脳に伝わる。
だから冷たさとは色で表すものではないのだ。
好んでそんなことをするのは、それこそ芸術家の仕事であって、俺の領分ではない。
そういう、色とかでは示せない「冷たさ」という奴を、だから具現化するならば、おそらく今目の前にいる彼女がそうなのだろう。
漆黒の髪はこの月夜の森の暗闇よりも黒く、白い衣に映える程だ。
きっと冷たさとは、灰色では表せないのだろう。
冷たく光る真っ黒な瞳は、俺を見据えたままだ。
「あんたは、誰だ」
彼女はさっきそう言った。
意識してちいさく息を吸う。
「俺は、早乙女夢耕」
言ってから再び気付いた。
だから声が出ないんだよ。
話せないことを身振り手振りで伝えようと試みるが、正面の彼女は一層警戒を強める。
「言葉は、分からないのか」
感情の読めない言葉がもう一度発せられたが、女の苦しそうな様子は見て取れた。
医学的な知識は持っていないが、おびただしい出血だった。
意識を保ち、一瞬であれだけ動けるのが不思議なほどに。
「だ、大丈夫ですか?」
音も出ない口を開き、一歩前に出る、が、瞬間、臨戦態勢をとられ、それ以上動くのをやめた。
どうすれば意思の疎通が図れるのか。
逡巡していると、今度は女の方が動いた。
真っ赤に染まった腹部を抑える手とは反対の手をおろすと、腕に巻かれた鎖が音を立てながらほどけていく。
肘の少し上まで鎖が素早く解けると、その腕を振りかぶった。
一瞬遅れて左の方で地面がこすれる音がたった。
ジャッっと鋭い音がしたかと思うと、目の前の彼女は突き上げた手で何かを握ったように見えた。
見えないが、そこに何かがあるのだろう。
普通ではありえないことのはずなのに、この状況で俺は簡単にそう理解していた。
この状況を受け入れているように。
だが、現在の状況が分かってるからといって、これからの状況を甘んじて受けるわけにもいかないだろう。
今までに見た事のない女がいくら美しかろうと、そこにあるのは明らかな敵対心だ。
例えうまく意思が伝わろうと、旅の者ですがと言って宿に宿泊させえもらえるような相手では決してない。
ましてや今はまともな意思疎通すらできないのだ。
コマンドは「逃げる」を選択するのがベストだろう。
だがしかし、一体どこへ?
今更であるが、ここはどこだ。
無論今まで俺がいた所――つまり学校の教室でないことは一目瞭然だ。
そもそもこんな鬱蒼とした森を、俺の16年の人生で見た事は無い。
おまけに目の前の彼女が何者なのか知らないが、どうも逃げ切れる気がしない。
ケガした女の子が腕一本で引き寄せた何かがまともな物でもないだろう。
考えあぐねていると、向かいの彼女はゆらりと揺れ、そのままこちらへ走ってくる――!
時計を気にしていた審判が無表情でホイッスルを鳴らそうとしている。
ふと見ると、向かってくる女が口を動かしていた。
「   」
小さな声で。
「……ウ」
「ムコウ」
「ムコウ」
俺の名前を呼ぶのだ。
どうして名前を……確かに名乗ったが、俺の声は……
繰り返し呼ぶその口元が、一瞬誰かと重なった気がした。
なぜか、少しだけ懐かしさを覚え――
「夢耕!」
耳元の声に一変に目が覚める。
勢いよくあげた俺の頭が何かに強くぶつかった。
「ってええええ!」
見ると朽哉が顎をおさえて叫んでいた。
「……朽、や……」
「何だよ急にー! 起きるなら起きるって言えよな!」
「ああ、悪ぃ……」
「いや今のはつっこめよ」
朽哉がいる。
机と椅子がある。
かすかに汗ばんだ手。
俺のよく知る所だ。
「にしてもお前、よく寝てたなー」
「俺、何か言ってなかったか……?」
「うんにゃ。すぴーっと気持ちよく寝てたぜ? 先生がつねってもピクリともしなかったから、皆笑ってよー」
「そう、か」
肩の力が抜けていく。
「なんだぁ? 寝てた割には顔色微妙だな。悪い夢でも見たか?」
朽哉は覗きこんで、八重歯を見せて笑う。
朽哉の明るさにはいつも助けられえいる気がするな。
「いや、もう戻ろう。次の授業に遅れる」
「何それ、ツッコミ待ち? 夢耕ってば全然授業聞いてねーじゃん! ってな」
「うっせ」
教室のドアを後ろ手に閉めたとき、丁度チャイムが鳴った。
「やっべ。急げ急げ!」
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